時代を見つめた鞄の創造で、生活文化の新しい可能性を開く 株式会社青木 は、鞄業界のリーディングカンパニーとしての役割を認識し、長年の経験から得たマーケティングのノウハウと製造・管理システム、そしてユーザーの窓口になる小売店との信頼関係を持って、鞄の開発・製造・販売に取り組んでいます。
現在の鞄に求められているのは、かつてのように「物を入れて運ぶ」という機能性ばかりではありません。
経済力、余暇時間の増大、女性の社会進出などを背景に、国民の「ゆとりと豊かさ」を求める傾向が高まってきた近年、持つ人の生活に彩りを添えるファッション性、個性を主張する独創性、様々な用途に対応する機能性など、あらゆる要素が求められるようになってきました。
そしてまた、景気の上昇に歯止めがかかり、国民が生活を見直し始めたこれらの時代には、さらに新しい価値が求められるようになることも予想されます。
人々は独自の価値観を持ち、品質がよく、実用と付加価値とのバランスが取れた本物を見極めるようになってきているのです。
株式会社青木 では、明治27年の創業以来築いてきた伝統と実績を大切にしながらも、現状に甘んじることなく、時代を見つめ、鞄の新しい価値を開いていきたいと思っております。
彌太郎翁は、明治27年9月(1894年)に、当時の日本橋亀井町(現在の小伝馬町、本社所在と同所)に店舗を構えて皮革製品卸業を創業しました。
その年の10月に結婚した際、夫人方の家庭には姓を残さなければならない事情がありました。そこで青木家では、家庭では改姓して夫人の飯塚姓を名乗り、称号では青木の姓を取って社名を 『青木商店』 としたのです。
その後、明治45年に組織を 『株式会社青木商店』 として新店舗を落成。関東大震災ですべてを消滅して、一時は個人営業となりましたが、昭和14年に再興。昭和28年に社名を 『株式会社青木』 と定め直して、現在に至っています。
株式会社青木 の商標
の右下に小さく付いている
の意味をご存知でしょうか。この
という文字は、小さいながらも、実は大変大きな意味を持っている、商標登録のマークです。
というのも、アルファベットは公式な意味合いの強い記号として、通常は特定企業の占有する商標としては認可されません。
数ある日本企業の中で、アルファベットの一文字を商標として登録する事が認可されたのは、当時は 株式会社青木 一社だけ。アルファベットを看板などの目印にしている会社は何社もありますが、AからZまで、そこに
が付いている会社は、現在でも 株式会社青木 を含めて数少ない状況です。
しかし、それではなぜ 株式会社青木 にはそれが認められたのでしょう。
それこそまさに、明治27年創業以来の 株式会社青木 の伝統と実勢の賜物に他なりません。
昭和40年代に先代の社長が登録を出願した際、株式会社青木 の長い歴史の中で、
の文字が長く広く、商標として使われてきたことを証明するために、往年のカタログなどの資料を提出しました。
そして昭和42年、特許庁がこれを認め、
マークは 株式会社青木 のみが永遠に使用することのできる商標として正式に登録されたのです。
登録を証明する
は、文字は小さいながらも大きな意味のある、 株式会社青木 の財産です。
私たちは、この価値ある商標に恥じないように、これからも研究と努力を重ねて、確かな品質の製品と信頼される会社を築いて参ります。
1894年 |
明治27年9月 |
初代 飯塚彌太郎が日本橋横山長木商店より独立 |
1912年 |
明治45年5月 |
新店舗落成を機に組織を株式会社 青木商店 (資本金十万円)とする |
1914年 |
大正12年3月 |
商品カタログ作成 |
1923年 |
大正12年9月 |
関東大震災にて店舗焼失後、個人営業とする |
1927年 |
昭和02年9月 |
店舗落成 |
1939年 |
昭和14年9月 |
再び組織を 株式会社青木商店 (資本金18万円)とし、飯塚正治郎 代表取締役に就任 |
1945年 |
昭和20年3月 |
戦災のため一切を焼失 |
1947年 |
昭和22年9月 |
仮店舗にて再開 |
1953年 |
昭和28年10月 |
新築店舗完成を機に称号を 株式会社青木 と改める |
1965年 |
昭和40年1月 |
本社ビル完成 |
1986年 |
昭和61年8月 |
飯塚昭義 代表取締役に就任 |
1994年 |
平成06年6月 |
飯塚節子 代表取締役に就任 |
1994年 |
平成06年9月 |
創業100年 |
2010年 |
平成22年10月 |
飯塚貴志 代表取締役に就任 |
現在に至る |